お久しぶりです、すずです。
早いものでもう5月になろうとしています。GWを楽しまれている方も多いのではないでしょうか。
…………。
昨年12月にTwitterでお知らせしました通り、私にとっては姉同然の存在であった従姉「HANA子」が亡くなりました。
入院、手術、そして退院……そしてこれから……その矢先にまた入院。そして……。そして……。
告知の際、姉は呆れるほどあっさりそれを受け入れたと聞きます。
実兄である「兄ちゃん」によると、「自分の身体のことさ、薄々はわかっていたさ……」などと言い、そしていたずらっ子のように笑って「このセリフ一度言ってみたかったんだよね〜」などとのたもうたそうです。
お気付きでしょうか?
これらは皆後から「兄ちゃま」から聞いた伝聞です。
私は告知の時、その場にいることができませんでした。姉が、死を宣告されるという場所に行くということが、いるということが怖くてそれを拒否したのです。
でも、姉は周囲の心配を恐怖を吹き飛ばすようにそれを受け入れたのでした。
姉が私にかけた言葉です。
「ちょっとね、ちょっとだけ順番が早かっただけなんだよ。それだけのことなんだよ」
もし自分が目の前に「死」を突き付けられた時、この様に受け入れることが出来るだろうか?
わたしにはわかりません。
一つ確かなことは姉は死を目前に決して生を諦めて残された時間をただ過ごしてその日に至ったのではなかったという事です。
病院のベッドの上で最後に姉が読んでいた本はヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」でした。
(前略)この世界は美しいところであり、そのために戦うに値するものであり、そしておれは、この世界を去ることを心からいやだと思う。そしてお前は幸運者だ、と彼は自分に言って聞かせた。こんなにいい生涯をおくることができたのだから。おじいさんの一生ほどながくはないが、おじいさんに負けないくらいりっぱな生涯をもつことができたのだ。こんな幸運を手に入れながら、不平を言いたいとは、お前だって思うまい。だが、なんとかして自分の学んだことを人々に伝えたいもんだ。畜生、おれは死にぎわになってから、大急ぎでそれを学んだのだ。(後略)
お姉ちゃん、安らかに。
──引用は「誰がために鐘は鳴る(下)」大久保康夫訳 新潮文庫版よりさせていただきました。