目的は《昭和維新》の達成であると、白銀の帝都を行軍する決起部隊。
1936年(昭和11年)2月26日未明より始まった事件、
『2.26』それを引き起こした
“青年将校”とはいかなる人々であったのか? 一体彼らはどのような人物だったのだろう?
国粋主義思想に凝り固まった歪んだイデオロギーの塊であったか?
全体主義思想に染まった血も涙もない軍人であったのか?
決起した青年将校の中に、一際鮮やかに翻る、赤いマントの男がいた。
日本陸軍中尉、近衛歩兵第3連隊・
中橋基明の赤マントといえば知らない者がいないくらい有名だったと聞く。
陸軍少将の父と華族の母の間に生まれた彼は、当時28歳。
厳格な父に育てられながら、彼はその身に纏う赤いマントが象徴するような明るい洒落者であったそうだ。
美男子で、
遊び好きで、
ダンスホールに通い、
映画も好き、スケートもお手の物、
香水もマニキュアもやる陸軍きっての伊達男。
彼の将校マントの裏地は鮮やかな緋色であった。もちろん官給品ではない。自ら誂えたものである。
彼が敬礼をするたびに、その裏地の緋色が映えたものだと彼を知るものは語った。
なぜ彼がそのような赤マントを愛用するようになったのか? きっかけとなったのは、乃木希典将軍の影響だという。
日露戦争の折、203高地に立つ乃木将軍のマントの裏地が見る者の瞳に映える真紅であったことにあやかってのことであったらしい。
彼の口癖は
「みんなの為なら死ねる」座右の銘は
「義を見てせざるは勇なきなり」そう、何の変わりもなかった。
彼らはただ目の前の歪みから目を逸らすことが出来なかっただけの、ただ当たり前の青年たちであったのだ。
HANA子の歴史はこんなに面白い SPッ!~赤いマントと2.26:その2~
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