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青く輝く月の下で ~Under the shining B.L.U.E. moon~

創作発表板をメインの拠点にコードギアス二次創作やらオリジナル駄文、日々の雑記などを書き散らしていますの
青く輝く月の下で ~Under the shining B.L.U.E. moon~ TOP  >  HANA子の歴史はこんなに面白い

HANA子の歴史はこんなに面白い 特別篇第三回

1945年8月15日、大日本帝国はポツダム宣言の受諾を国民に向けて発表した。
その日の正午、ラジオから流れる玉音放送にある者は涙し、ある者は怒った。ある者はそこに希望を見出し、またある者は心を凍らせた。
終戦である。
日本人たちの戦争はこの日終わった──はずだった。

8月18日未明、静寂を引き裂いて極東ソ連軍の日本本土侵攻は始まった。
敵襲を報せる兵士の絶叫、艦砲射撃の轟音、そして閃光!
ポツダム宣言受諾を受けて引き揚げの準備をしていた日本の北端、国境の島占守島は地獄と化したのだった。
眼前には雲霞の如き敵ソ連軍の大群敵、後方にはもはや身を守る術のない無防備な祖国。
悲壮な決意を胸に、防人たちは絶望的な戦いに身を投じていく。

前回語ったように、彼らが味わう地獄は勝者たちによる世界分割の談合、その中で示し合わされた多くの決定の一つに過ぎませんでした。
無慈悲な国際政治の力学によってこの地獄は生まれたのです。
しかし、それだけが理由であったのでしょうか?

ここに一つの資料があります。
日本が降伏文書に調印した1945年9月2日のソビエト連邦の指導者、ヨシフ・スターリンの布告文です。

日露戦争の時、1905年のロシア軍の敗北は、苦い思い出として我が国に固着していた。
国民は日本を打ち負かし、汚点が拭い去られる日が到来することを信じて待った。
四十年間、我々旧き時代の者はこの日を待ち続けた。
そして遂にその日が到来したのだ。
(引用:『ソ連から見た日露戦争』原書房)

スターリンの発言に限った話ではありません。戦後の極東軍事裁判においてもソ連代表団は日露戦争に対する賠償を強く求めるなど、この件に関するロシア人の憎悪と復讐心を剥き出しにした姿勢はそれを知る者の背筋をゾっとさせるものです。
わたしはこれまでも歴史とは個々に独立した事象ではなく、継ぎ目無く続く事象の連続体だと述べてきました。
では、この極東ソ連軍の終戦後の日本本土侵攻という事象は日露戦争を根とする事象だったということでしょうか?
わたしの個人的な見解においてですが、その答えでは50点にしかならないと考えます。
日露戦争から占守島に至る事象には、まだもう一つ語るべき“事件”があるのです。

1939年(昭和14年)5月、満蒙国境で起きたその事件を語らねばなりません。

HANA子の歴史はこんなに面白い 特別篇【北端の夏・占守島戦記】第三回
 
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HANA子の歴史はこんなに面白い 特別篇第ニ回


V.V.「1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾したことを国民に向けて発表した……よってこの日が日本にとっての【終戦の日】となった、か」

HANA「第二次世界大戦における日本の死者は、軍人230万人民間人80万人の合わせておよそ310万人だったそうです。これが盧溝橋事件(1937年)から始まり、8年続いた戦争の結果というものでした」

V.V.「(重いなぁ……)と、とにかく……敗戦を迎え、多くの犠牲の上でようやく戦争は終わったんだね。ここから日本の戦後が始まっていくんだねぇ」

HANA「戦後、ですか」

V.V.「この日に戦争は終わったわけなんだから、戦後で間違いないでしょ?」

HANA「…………」

HANA「一つ質問をしましょうか。【日本の戦後】が始まったのは8月15日。じゃあ、ぶっちゃんは日本の戦後っていつ終わったと思います?」

V.V.「【日本の戦後】が終わった日? えーっとね……」


HANA子の歴史はこんなに面白い 特別篇【北端の夏・占守島戦記】第ニ回

HANA子の歴史はこんなに面白い 特別篇第一回

竹田浜に5隻の艦艇が迫ってきている。
濃霧。
そして闇。
散り散りの闇だ。
1945年8月18日の午前3時、北端の島の闇は青や赤の曳光弾によって散り散りに引き裂かれていた。

「ちくしょう、ちくしょうちくしょうちくしょう!」
艦艇は舳先を陸地に向け、一斉に艦砲射撃を行っている。
一艦は国端崎を、一艦は竹田崎と小泊岬、そして残りの総てが竹田浜に砲撃を集中している様子だ。
怖かった。
───!!
爆音。
衝撃波。
そして眩いばかりの、光芒。
「た、竹田崎が?!」
光が生まれたのは関根分隊が応戦を続けていた竹田崎の方だった。
爆発が余りにも強い。
「弾薬に直撃を受けた・・・・・・のか」
誰かのつぶやきに、僕はもう自分を抑えることができなかった。
「どうしてだ、どうしてなんだ! もう戦争は終わったんじゃなかったのか! あと三日もすれば俺達は武装解除して、内地に引き揚げて、故郷に帰れるはずだったのに!!」
怖いのだ。
無事に内地に帰れると思ったことで、緊張の糸が切れてしまったのかもしれない。
今の俺は死ぬことが、戦うことがたまらなく怖かった。
国端崎の野砲が敵艦艇を捉えた。
火の手が上がり──それでも進攻を止めない敵艦は竹田浜にのりあげたようだ。
炎上する船から敵将兵が海に飛び込み、浜に向かって泳いでいる姿が見える。
『上陸された』
心が震えた。
怖い。怖くて怖くて震えが止まらない。
それでも砲を撃つことを止められなかった。
俺達の後ろには工場があった。そこで働く女工さんたちがいた。
島の後ろには千島の島々があった。その先には北海道がある。内地がある。
怖い、怖いんだ。
戦わないであいつらを先に進ませてしまったら。そんなことになってしまうのが怖い──そうなってしまったらと考えると怖くてたまらない!!
だから、逃げない。
怖くても、逃げない。



HANA子の歴史はこんなに面白い 特別篇【北端の夏・占守島戦記】第一回

HANA子の歴史はこんなに面白い 特別篇・予告

その日ラジオから流れてきた言葉は戦争の終わりを告げるものだった。

1945年8月15日、大日本帝国は連合国に降伏したことを宣言。

この日、戦争は終わった。

8月15日。

この日をもって、戦争は終わったはずであった。



北海道の東、根室海峡からカムチャツカ半島の南──千島海峡までの間に連なる列島を千島列島と呼ぶ。
北の大国【ソビエト社会主義共和国連邦】との国境に接する島々。
その千島列島最北端の島、国境の島の名を【占守島(しゅむしゅとう)】と言った。

8月17日は、朝から快晴だったと言う。
占守島駐留の日本軍はやがて来る武装解除に向けて資料や装備の廃棄、島からの引き揚げ準備にも慌しい時間を過ごしていた。
敗戦という現実を前に揺らぐ心、複雑な心境、それらを抱きつつも皆が課せられた最後の任務を果たそうと働いていたのである。
しかし、彼らの胸中のどこかにホッとした──一息ついたときのような気持ちが生まれていたことも間違いないだろうと思われる。
仲間内での話しの種はもっぱら故郷に帰ったらどうするか、ということに尽きたそうであるからだ。

夕刻、異変に気付いた者は少なくはなかったらしい。
第11戦車連隊・戦車第2中隊が飛行機の爆音に気付いた。独立歩兵第282大隊はその機影を視認した。
「終戦したというのになんだろうか?」
その国籍不明の飛行機の音は米軍機とは違うものだったという証言が残されている。
国籍不明機は陣地から外れた場所に小型爆弾を投下し、飛び去っていったそうだ。
それからしばらくした後、今度は砲撃音が海上に鳴り響いた。
「ソ連軍が座礁した油槽船を的に砲撃訓練をしているだけのようだから心配はいらん」
占守島北側にある国端崎の守備部隊にはそのように告げられたと聞く。
ただ、
「小泊岬、竹田浜、国端の各守備部隊は油断することなく警戒厳重ならしむることを発令す」
独立歩兵第282歩兵大隊大隊長・村上少佐は8月14日の段階で指揮下の部隊に命令を下している。
今にして思えば、何か予感があったのだ・・・・・・そう思えてならない。

午後10時。
国端崎に突如轟音が轟いた。

「敵襲、敵襲です──!!」
「艦砲射撃だと?! どこからだ、敵は米軍なのかっ!」
「砲撃は・・・・・・、砲撃はロバトカ岬から・・・・・・。敵は──」

───敵は、ソ連軍です!


8月18日──ロバトカ岬からのソ連軍長射程砲の砲撃はますます激しさを増していき、日本軍兵士達の『ソ連軍の勝利に驕った戯れではないか』という淡い期待はもろくも崩れ去った。
午前0時頃、282大隊本部に一つの報告が入る。

《敵軍艦艇のエンジン音聞こゆ。敵軍に上陸企図これあり》

午前2時半、ソ連軍は占守島竹田浜に上陸。
迎え撃つは独立歩兵282歩兵大隊。
救援に向かうは陸軍の精鋭・第11戦車連隊──通称【士魂部隊】


それは、8月15日の後に──戦争が終わった後に始まった戦いのお話。
これは、絶望的な状況において最善を尽くした人々のお話。


HANA子の歴史はこんなに面白い 特別篇【北端の夏・占守島戦記】

 
1945年8月、日ソ中立条約を一方的に破棄して対日参戦を果たしたソビエト社会主義共和国連邦──ソ連
終戦を迎えて武装解除と内地への引き揚げ準備に取り掛かっていた日本軍に対し、ソ連軍はその牙と爪を振り下ろさんと侵攻を開始します。
国境の島、占守島を舞台に三日間続いた知られざる死闘の始まりと終わり。
そして、本当の意味で未だに終わっていない【日本の戦後】についてのお話を二回に分けて語りたいと思います。
第一回は8月18日投下の予定です。
どうぞご期待ください。



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HANA子の歴史はこんなに面白い SPッ! ~赤いマントと2.26:エピローグ~

V.V.「というわけで、特別篇終了っと」
HANA「おつかれさまでした。いやぁ、歴史ってホントにいいものですね」
V.V.「第二回も終ってないのに特別篇開始&終了ってのはいかがなものかなって思うけど」
HANA「しょうがないじゃないですか。児玉源太郎に関しちゃ書きたいことがあまりにも多すぎて・・・・・・」
V.V.「で、半ば収拾がつかなくなりつつあると(むしろすでにそうなっちゃってるんじゃないのかな)」
HANA「うっ?! ち、ちゃんと収拾つけて終らせるもん!」
V.V.「どうだかな。大体HANAちゃんは計画性ってのが足りないよね」
HANA「そんなことないもん。・・・・・・多分
V.V.「(今、多分って言ったな)計画性がないと言えばHANAちゃん・・・・・・今月──すでにヤバイんだってね。お財布の中身的な意味で」
HANA「ギクッ!」
V.V.「この押入れに隠してあった冬物の洋服の山はなんだい?」
HANA「あー、ほら・・・・・・その、えーと安かったから・・・・・・。そうよ、安かったからっ!!」
V.V.「もう冬も終って、寒さも終わりそうな頃合なのに?」
HANA「今のうちに買っておけば、来年買わなくて済むかなァ~って思ったり~なんだり~」
V.V.「じゃあ、この買うだけ買って作るどころかフタさえ開けてないガンプラたちは?」
HANA「こ、これはプロショップ限定のクリアー成型のMGガンダムver2.0なんですよ! 買っておかないと売り切れるかもって思って!」
V.V.「・・・・・・こっちは?」
HANA「トランザムモード版のMGガンダムエクシア! か、かっこいいじゃないですか! 赤くてキラキラしてて、三倍速くて三倍強いんですってヴァ!」
V.V.「・・・・・・これは?」
HANA「OVAで展開が始まったユニコーンガンダムですよ! それもこないだ出たアップデート版のMG! ほら、パッケージもとってもカッコイイ!! 変身するんですよ! 変形じゃないですよ! 変身なんだってヴァ!!」
V.V.「・・・・・・それは?」
HANA「う、それはMGVガンダムです・・・・・・」
V.V.「何個目?」
HANA「・・・・・・5個目です。えーと、その、ほらVガンダムは量産機だし」
V.V.「1個目は?」
HANA「・・・・・・まだ作ってましぇん」
V.V.「よぉーっく考えよう!」
HANA「お金は大事でしたーッ!」


HANA子の歴史はこんなに面白い SPッ! ~赤いマント2.26:エピローグ~

HANA子の歴史はこんなに面白い SPッ! ~赤いマントと2.26:その2~

目的は《昭和維新》の達成であると、白銀の帝都を行軍する決起部隊。
1936年(昭和11年)2月26日未明より始まった事件、 『2.26』
それを引き起こした“青年将校”とはいかなる人々であったのか? 一体彼らはどのような人物だったのだろう?
国粋主義思想に凝り固まった歪んだイデオロギーの塊であったか?
全体主義思想に染まった血も涙もない軍人であったのか?

決起した青年将校の中に、一際鮮やかに翻る、赤いマントの男がいた。
日本陸軍中尉、近衛歩兵第3連隊・中橋基明の赤マントといえば知らない者がいないくらい有名だったと聞く。
陸軍少将の父と華族の母の間に生まれた彼は、当時28歳。
厳格な父に育てられながら、彼はその身に纏う赤いマントが象徴するような明るい洒落者であったそうだ。
美男子で、
遊び好きで、
ダンスホールに通い、
映画も好き、スケートもお手の物、
香水もマニキュアもやる陸軍きっての伊達男。
彼の将校マントの裏地は鮮やかな緋色であった。もちろん官給品ではない。自ら誂えたものである。
彼が敬礼をするたびに、その裏地の緋色が映えたものだと彼を知るものは語った。
なぜ彼がそのような赤マントを愛用するようになったのか? きっかけとなったのは、乃木希典将軍の影響だという。
日露戦争の折、203高地に立つ乃木将軍のマントの裏地が見る者の瞳に映える真紅であったことにあやかってのことであったらしい。
彼の口癖は「みんなの為なら死ねる」
座右の銘は「義を見てせざるは勇なきなり」

そう、何の変わりもなかった。
彼らはただ目の前の歪みから目を逸らすことが出来なかっただけの、ただ当たり前の青年たちであったのだ。


HANA子の歴史はこんなに面白い SPッ!~赤いマントと2.26:その2~

HANA子の歴史はこんなに面白い SPッ! ~赤いマントと2.26:その1~

『怪人赤マント』 、という怪異がある──
赤いマントを身に纏った怪人物が子供を誘拐し、そして殺すという話である。
攫うのは少女だけであって、拉致したのちに陵辱して殺す、という話もある。
いわゆる【都市伝説】の類であった。

この『赤マント』の怪異が実しやかに語られるようになった時期というのが不思議なものだと言うと意見の飛躍だろうか?
実はそう新しい話ではない。
始まりは1940年頃と言われている。
もう少し詳しく言うと、昭和11年のことなのである。
ご存知だろうか?
昭和11年2月26日、東京。
その雪が舞う日の帝都に翻った赤いマントのことを。


HANA子の歴史はこんなに面白い SPッ! ~赤いマント2.26:その1~
プロフィール

HANA子

Author:HANA子
看護師をやってる似非腐女子

夢は
F22ラプターに乗った王子さまか、
JAS39グリペンに乗った皇子さまが
迎えにきてくれること
ついでに言わせてもらえば、
メビウス1はうちの婿

イメージ的にアーニャならしい2×歳

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