その日ラジオから流れてきた言葉は戦争の終わりを告げるものだった。
1945年8月15日、大日本帝国は連合国に降伏したことを宣言。
この日、戦争は終わった。
8月15日。
この日をもって、戦争は終わったはずであった。
北海道の東、根室海峡からカムチャツカ半島の南──千島海峡までの間に連なる列島を千島列島と呼ぶ。
北の大国
【ソビエト社会主義共和国連邦】との国境に接する島々。
その千島列島最北端の島、国境の島の名を
【占守島(しゅむしゅとう)】と言った。
8月17日は、朝から快晴だったと言う。
占守島駐留の日本軍はやがて来る武装解除に向けて資料や装備の廃棄、島からの引き揚げ準備にも慌しい時間を過ごしていた。
敗戦という現実を前に揺らぐ心、複雑な心境、それらを抱きつつも皆が課せられた最後の任務を果たそうと働いていたのである。
しかし、彼らの胸中のどこかにホッとした──一息ついたときのような気持ちが生まれていたことも間違いないだろうと思われる。
仲間内での話しの種はもっぱら故郷に帰ったらどうするか、ということに尽きたそうであるからだ。
夕刻、異変に気付いた者は少なくはなかったらしい。
第11戦車連隊・戦車第2中隊が飛行機の爆音に気付いた。
独立歩兵第282大隊はその機影を視認した。
「終戦したというのになんだろうか?」
その国籍不明の飛行機の音は米軍機とは違うものだったという証言が残されている。
国籍不明機は陣地から外れた場所に小型爆弾を投下し、飛び去っていったそうだ。
それからしばらくした後、今度は砲撃音が海上に鳴り響いた。
「ソ連軍が座礁した油槽船を的に砲撃訓練をしているだけのようだから心配はいらん」
占守島北側にある国端崎の守備部隊にはそのように告げられたと聞く。
ただ、
「小泊岬、竹田浜、国端の各守備部隊は油断することなく警戒厳重ならしむることを発令す」
と
独立歩兵第282歩兵大隊大隊長・村上少佐は8月14日の段階で指揮下の部隊に命令を下している。
今にして思えば、何か予感があったのだ・・・・・・そう思えてならない。
午後10時。
国端崎に突如轟音が轟いた。
「敵襲、敵襲です──!!」
「艦砲射撃だと?! どこからだ、敵は米軍なのかっ!」
「砲撃は・・・・・・、砲撃はロバトカ岬から・・・・・・。敵は──」
───敵は、ソ連軍です!8月18日──ロバトカ岬からのソ連軍長射程砲の砲撃はますます激しさを増していき、日本軍兵士達の『ソ連軍の勝利に驕った戯れではないか』という淡い期待はもろくも崩れ去った。
午前0時頃、282大隊本部に一つの報告が入る。
《敵軍艦艇のエンジン音聞こゆ。敵軍に上陸企図これあり》午前2時半、ソ連軍は占守島竹田浜に上陸。
迎え撃つは独立歩兵282歩兵大隊。
救援に向かうは陸軍の精鋭・第11戦車連隊──通称
【士魂部隊】。
それは、8月15日の後に──戦争が終わった後に始まった戦いのお話。
これは、絶望的な状況において最善を尽くした人々のお話。
HANA子の歴史はこんなに面白い 特別篇【北端の夏・占守島戦記】 1945年8月、日ソ中立条約を一方的に破棄して対日参戦を果たしたソビエト社会主義共和国連邦──ソ連。
終戦を迎えて武装解除と内地への引き揚げ準備に取り掛かっていた日本軍に対し、ソ連軍はその牙と爪を振り下ろさんと侵攻を開始します。
国境の島、占守島を舞台に三日間続いた知られざる死闘の始まりと終わり。
そして、本当の意味で未だに終わっていない【日本の戦後】についてのお話を二回に分けて語りたいと思います。
第一回は8月18日投下の予定です。
どうぞご期待ください。
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