《誰が為に鐘は鳴ったか──激動の21世紀:筆者まえがき》
「ゼロ」という名は、我々を否応もなく激動の21世紀の記憶に連れ戻す。
戦争という凶暴な嵐、そこに生きる人々の人生や運命……過去も未来も何もかもを例外なく吹き飛ばしていってしまう嵐の、いつもその中心にいた「ゼロ」。まさしく彼は21世紀の「顔」というべき存在であるかもしれない。いや、事実そうであったと確信する。
彼だけではない。この時代には多くの、その存在なしに語ることの出来ない人々が多数存在した。かつて暴君の代名詞とさえ言われた「皇帝ルルーシュ」もその一人である。
彼らが生き、そして去っていった21世紀の世界とはいかなるものであったろうか。
21世紀は「激動の世紀」であった、とはよく言われる。勿論その通りなのだが、この百年間に人類が辿った歴史・事象・経験はとても「激動」の二文字では表せないものだと思う。
余談ではあるが、その前の20世紀においても、日本では民主化という大きな転換点があり、ブリタニアにおいても崩壊からの新生という同様に大きな出来事があった。世界的にも連邦国家としてのEUの勃興、超大国としての歩みを始めた中華連邦の誕生があり、それぞれに変革の苦しみを味わっている。これもまた「激動の世紀」であったことは間違いない。
しかし、この21世紀の苛烈さと比較すればまだ「穏やかな」時代であったかもしれないと思うのだ。
本連載ではその苛烈な時代の代表的な「顔」であった人々の足跡を辿ることで21世紀の総決算を試みてきた。
《中略》
この連載は2121年の4月6日(月)から7月26日(金)にかけてのおよそ四ヶ月の間朝刊に掲載された。本書はその掲載分60回に12回分を書き加えたものである。
最終戦争より約一世紀、そして「ゼロの時代」の終焉から30年を迎えた今年、旧合衆国連合(現国際連合)が設置した研究委員会による21世紀という時代への様々な視点からの研究も一つの結果を得、集大成とする報告発表が行われた。しかし未だに「ゼロ」や「皇帝ルルーシュ」、「裏切りの騎士スザク」に対する再評価には至っていない。
私は当時のブリタニア、日本、EU、中華連邦の別を問わず、あらゆる資料を収集してきた。時には同時代を生きた人の生の言葉を得るために飛び回ったこともある。本書はその意味でもう一つの成果となることだろう。
今、私は新大陸東海岸のバージニア州ダレスのダレス国際空港にいる。これから搭乗手続きを行い、取材時以来久しぶりにUPJ(合衆国日本)に向かうつもりだ。
「ゼロ」が現れ、そしてその足跡を消したUPJの──トウキョウの地を、もう一度この目に焼きつけ、本書刊行の締めくくりとしたいと思う。
【おやすみ──そして、】その1 (コードギアス反逆のルルーシュ LOSTCOLORS より)